スペシャルドラマ「坂の上の雲」
89分版をBSP4Kで、44分版を総合で再放送!
2024年5月5日(日)スタート
毎週日曜日よる10時<全5話>
毎週日曜 よる10時 [NHK BSプレミアム4K・NHK BS]
【放送予定】
<44分版>
2024年9月8日より 毎週日曜日
午後11時から午後11時44分
全26回 ※89分版を前編・後編に再編集したものです
総合テレビ
NHKプラスでもご覧いただけます。
<89分版>
2024年10月4日より 毎週金曜日
午後8時15分から午後9時44分
全13回
BSプレミアム4K
【原作】
司馬遼太郎
「坂の上の雲」
※司馬遼太郎の「遼」の字は、本来「しんにょうの点がふたつ」です
【脚本】
野沢尚
柴田岳志
佐藤幹夫
加藤拓
【音楽】
久石譲
【メインテーマ】
「Stand Alone」
第1部 サラ・ブライトマン
第2部 森麻季
第3部 麻衣
【語り】
渡辺謙
【出演】
本木雅弘 阿部寛
香川照之 菅野美穂
松たか子 石原さとみ
藤本隆宏 原田美枝子
竹下景子 伊東四朗
西田敏行 石坂浩二
高橋英樹 加藤剛
渡哲也 ほか
【内容】
司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、日露戦争とその時代を生きた明治の青春群像を渾身の力で書き上げた「坂の上の雲」を原作として描く人間ドラマ。
明治維新によって、はじめて「国家」というものをもち、「国民」となった日本人。近代国家をつくりあげようと少年のような希望を抱きながら突き進んだのが「明治」という時代であった。
松山に生まれた3人の男、バルチック艦隊を破る作戦を立てた秋山真之、ロシアのコサック騎兵と対等に戦った秋山好古、そして俳句・短歌の革新者となった正岡子規。彼らは、時代の激流に飲み込まれながら、新たな価値観の創造に立ち向かい、自らの生き方を貫き、ただ前のみを見つめ、明治という時代の坂を上っていった。生まれたばかりの「少年の国」である明治の日本が、世界の中でいかに振る舞っていったかを描く。
<44分版>
2024年9月8日より 毎週日曜日
午後11時から午後11時44分
全26回 ※89分版を前編・後編に再編集したものです
総合テレビ
NHKプラスでもご覧いただけます。
<89分版>
2024年10月4日より 毎週金曜日
午後8時15分から午後9時44分
全13回
BSプレミアム4K
【原作】
司馬遼太郎
「坂の上の雲」
※司馬遼太郎の「遼」の字は、本来「しんにょうの点がふたつ」です
【脚本】
野沢尚
柴田岳志
佐藤幹夫
加藤拓
【音楽】
久石譲
【メインテーマ】
「Stand Alone」
第1部 サラ・ブライトマン
第2部 森麻季
第3部 麻衣
【語り】
渡辺謙
【出演】
本木雅弘 阿部寛
香川照之 菅野美穂
松たか子 石原さとみ
藤本隆宏 原田美枝子
竹下景子 伊東四朗
西田敏行 石坂浩二
高橋英樹 加藤剛
渡哲也 ほか
【内容】
司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、日露戦争とその時代を生きた明治の青春群像を渾身の力で書き上げた「坂の上の雲」を原作として描く人間ドラマ。
明治維新によって、はじめて「国家」というものをもち、「国民」となった日本人。近代国家をつくりあげようと少年のような希望を抱きながら突き進んだのが「明治」という時代であった。
松山に生まれた3人の男、バルチック艦隊を破る作戦を立てた秋山真之、ロシアのコサック騎兵と対等に戦った秋山好古、そして俳句・短歌の革新者となった正岡子規。彼らは、時代の激流に飲み込まれながら、新たな価値観の創造に立ち向かい、自らの生き方を貫き、ただ前のみを見つめ、明治という時代の坂を上っていった。生まれたばかりの「少年の国」である明治の日本が、世界の中でいかに振る舞っていったかを描く。
熱海五郎一座 新橋演舞場シリーズ第10回記念公演
東京喜劇「スマイル フォーエバー ~ちょいワル淑女と愛の魔法~」
2024年6月2日~6月27日
新橋演舞場
※公演は終了いたしました。
ご来場誠にありがとうございました。
三宅裕司率いる大人気のシリーズ「熱海五郎一座」第10回記念!
そして…その前身である「伊東四朗一座」旗揚げから20年。
ついに演舞場に喜劇界のレジェンド伊東四朗 初降臨!
2度目のゲスト出演 コメディセンス抜群の松下由樹とともに日本最高峰の東京喜劇人たちが
2024年6月新橋演舞場で笑いの金字塔を打ち立てる!!
【作】吉高寿男
【出演・構成・演出】 三宅裕司
【出演】 渡辺正行、ラサール石井、小倉久寛、春風亭昇太、東 貴博(交互出演)、深沢邦之(交互出演)
【ゲスト出演】 伊東四朗、松下由樹
この度、東京喜劇「熱海五郎一座」を 新橋演舞場シリーズ第 10 回記念として 2024 年 6 月に上演することとなりました。
お客様が心の底から本当に面白いと思える東京の喜劇“軽演劇”を上演しよう、“東京の笑い”を継承しようと、2004 年に伊東四朗座長のもとに、三宅裕司を中心とした第一線で活躍中の喜劇人たちが集結し、旗揚げした「伊東四朗一座」。
伊東が参加出来ない時も思いを引継ぎ、2006 年に三宅裕司が座長となり「熱海五郎一座」を旗揚げしました。
劇団名は三宅の発案で“伊東ならぬ熱海”“四朗ならぬ五郎”という洒落で命名。
毎年新作を上演し続け、2014 年に新橋演舞場へ初登場すると大好評につきシリーズ化され、豪華なゲストを迎えた抱腹絶倒で華やかなステージを、以降毎年お届けしてまいりました。
旗揚げから 20 年を経て、そして演舞場シリーズ第 10 回記念公演「熱海五郎一座」についに伊東四朗をゲストに迎えることが決定しました。
伊東は演舞場の舞台に立つのは初めてとなります。
そしてもう一人のゲストは2016 年の公演で確かな演技力とコメディ センスで演舞場の客席を大いに沸かせ、三宅裕司の信頼が厚い松下由樹が再び登場。
ゲスト二人と一座メンバーが繰り広げるザ・東京喜劇!
そして、座長・三宅裕司が創る次回の作品はどんなテーマでどんなストーリ展開になるのか!?
第 10 回記念にふさわしい、熱海五郎一座でしか見ることのできない大爆笑エンターテインメントにどうぞご期待ください!!
【伊東四朗コメント】
毎年、満席の新橋演舞場で熱海五郎一座の公演を観ています。実にいいものです。
あれは何年前の観劇の時か、前の席のご夫婦が、「結局、熱海五郎という人はどこに出てきたの?」と話していました。説明しようと思いましたが、止めときました。
今回、シリーズ 10 回記念ということで三宅さんが、私を呼んでくれました。
来年にむけてハツラツと過ごします。
どうなるか責任はもてませんが。
【松下由樹コメント】
私は、2016 年の新橋演舞場シリーズ第3弾「ヒミツの仲居と曲者たち」のゲストとして熱海五郎一座に参加させていただきました。
軽演劇という笑いがテーマの舞台は、初めてで緊張しましたが、三宅さんをはじめ一座の皆さんに温かく迎え入れていただきました。
喜劇のお芝居だけでなく、立廻りやタップダンスにも挑戦しまして、お客様の反応が嬉しくて演じることが楽しい、あっという間の1ヵ月でした。
いつか機会があれば、もう一度と願っていましたが、シリーズの 10 回目にお声がけいただき、本当に光栄です。
しかも私が出演したドラマ「想い出にかわるまで」で私のお父さんだった伊東さんとご一緒できるなんて。
たいへん嬉しく思っております。
【三宅裕司コメント】
東京の軽演劇をなくしてはいけないという思いで伊東四朗一座を旗揚げし、熱海五郎一座になって来年で 20 年。
演舞場シリーズも 10 回目。
前回大好評だった松下由樹さんにも参加して頂き、ついに最後の東京喜劇人・伊東四朗さんの登場。
面白くしなかったら喜劇の神様に怒られる。
『笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗』
笹山敬輔・著
本格的評伝!
カバーイラスト・眼鏡太郎
5月10日発売
四六並製 240ページ
定価1,870円(本体1,700円+税)
喜劇役者・伊東四朗、
笑って笑って66年!
粋にして骨太、スマートにして軽妙。
てんぷくトリオ、電線音頭、笑ゥせぇるすまん、「おしん」の父親、白河法皇……etc.
喜劇役者・伊東四朗の
「むかし・いま・これから」を、約百年に亘る
“東京喜劇史”を軸に鮮やかに描き出す。
「喜劇にはあらゆる役が登場します。二枚目
から老け役、女形、それこそ動物の役まで。
喜劇をやっていれば、どんな役が来ても驚か
なくなりますよ。だから私は、喜劇ができれば
どんな役でもできると思っているんです」
(伊東四朗の言葉、本書より)
伊東四朗への長時間インタビューのほか、
佐藤B作さん、三宅裕司さん、三谷幸喜さん、
演劇関係者の語る「私の尊敬する伊東さん」。
深い愛情が込められたお話は、読み応えあり!
放送は変更されることがあります
新聞等のテレビ・ラジオ欄をご確認下さいますようお願いいたします
新聞等のテレビ・ラジオ欄をご確認下さいますようお願いいたします
親父熱愛(オヤジパッション) | 毎週土曜日 15:00 ~ 17:00 文化放送(AM1134/FM91.6) |
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スペシャルドラマ「坂の上の雲」 | <44分版> |
スペシャルドラマ「坂の上の雲」 | <89分版> |
熱海五郎一座 スマイル フォーエバー ~ちょいワル淑女と愛の魔法~ 三宅裕司×伊東四朗×松下由樹 | 11/9(土) 21:00 ~ WOWWOW(192ch) |
劇場版ドクターX | 12/6(金) 全国公開 |
- 伊東四朗 -
昭和12年:東京府東京市下谷区竹町 (現在の台東区台東)にて5人兄弟の4番目として生まれる
血液型:O型
0歳
1937年 四朗生まれる
昭和12年東京は下谷区に産声をあげる。
※幼少のころの写真
※幼少のころの写真
12歳
1949年 初舞台
アマチュア劇団を主宰していた長兄に引っ張り出され浮浪児役で初舞台を踏む。
※写真は中学時代、英語部の劇、浦島太郎より
※写真は中学時代、英語部の劇、浦島太郎より
19歳
1956年 早稲田大学
就職試験にことごとく落ち、たまりかねた友人が身内の会社を紹介してくれるが、そこも落ちる。早大や東大などの生協で書籍部、食品部、食堂を掛け持ちで勤務。その傍ら歌舞伎座や軽演劇全盛の浅草、新宿、池袋などの小屋に通う。そのうち、客席にしょっちゅう居るので「舞台上から有名」になり、楽屋に呼ばれるようになる。
21歳
1958-59年 劇団「笑う仲間」
劇団「笑う仲間」が浅草・松竹演芸場で旗揚げされる。(石井均、八田圭介、水谷史郎、戸塚睦夫など)そんな時、生協から正社員の話がくる。大いに悩んだ挙句「笑う仲間」に研究生として加わる。劇団は常打ちで人気を博す。因みに最初にもらった役は、公衆便所からジッパーを上げながら去っていくというものであった。もちろんセリフなどない。
22-24歳
1959-61年 石井均一座
「笑う仲間」が解散となり「石井均一座」にかわる。新宿・松竹文化演芸場に舞台を移す。財津一郎氏加入。2人とも音楽を通じて気が合った。学生層に人気を博す。